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塚本 智也                                 English   Japanese

 

経歴

1982年 石川県 金沢市生まれ

2005年 愛知県立芸術大学油画専攻 卒業

2007年 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程油画専攻 修了

 

個展

2013年 「光の色」, Gallery M contemporary art , 愛知

2012年 「シルエット」 , 西武渋谷店 美術画廊 , 東京

2011年 「新しい景色」, Gallery M contemporary art , 愛知

2006年 「分散する光」 , Gallery芽楽 , 名古屋

2005年 「オモカゲ」 , Gallery芽楽 , 名古屋

2004年 はるひ美術館 , 愛知

 

グループ展

2013年 "Art Revolution Taipei 2013 " , 台北

2012年 シェル美術賞 アーティスト セレクション展 , 国立新美術館  , 東京

2012年 現代アート展U ‐新しい表現の作家たち , 阿久津画廊, 群馬

2012年 群馬青年ビエンナーレ2012 , 群馬県立近代美術館 , 群馬

2012年 第7回大黒屋現代アート公募展 , 栃木

2012年 ファン・デ・ナゴヤ美術展2012 , 名古屋

2011年 「FLOWER PAINTING - The second harmony」 LEEAHN Gallery , Changwon , 韓国

2010年 「SONAGI,晴れ」 , KimiArt , 韓国

2008年 Blue Dot Asia 2008 , Seoul Arts Center、韓国

2008年 ART ADVANCE ADACHI 2008 , シアター1010 , 東京

2007年 修了制作展 , 東京芸術大学

2005年 シェル美術賞2005, 東京

2004年 シェル美術賞2004, 東京          

 

賞暦

2014年 新潮賞 , Young Art Taipei 2014 , 台湾

2012年 第1回VANコンテスト 銀賞 , 株式会社ベリタス 

2012年 群馬青年ビエンナーレ2012 , ガトーフェスタ ハラダ賞

2005年 第20回ホルベインスカラシップ奨学生 , ホルベイン工業株式会社

2005年 福田繁雄審査員賞 , 初展 ,東京藝術大学

2005年 卒業制作桑原賞 , 愛知県立芸術大学

2003年 町民賞受賞 , 第3回夢広場はるひ絵画ビエンナーレ , 愛知

 

プロジェクト

2009年 九州新幹線新鳥栖駅パブリックアート , 佐賀

2007年 緞帳デザイン , シアタークリエ , 東宝株式会社

2007年 みなかみ町芸術のまちづくりプロジェクト

 

コレクション

みなかみ町 , 群馬

ガトーフェスタ ハラダ

他個人蔵

 

参考文献(抜粋)

梅津 元「フラッシュ/バック― 残像、幻影、分身」『Tomoya Tsukamoto』川田画廊,2014年

伊庭靖子(審査評)『群馬青年ビエンナーレ2012』 群馬県立近代美術館,2012年

森 美樹 「塚本智也〈分散する光〉展」『美術手帖』2006年8月号

高橋綾子 「塚本智也展」『中日新聞』2004年2月11日


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アーティストステイトメント

 

「光の鯉」

 時は流れ続け、止まることはありません。 
自然は絶えず移ろい変わり、元の形には戻らないのです。
その刻一刻と変化していく、はかなくも美しい風景の一瞬を絵画に留めることを試みています。 

ステイニングのような抽象画の空間を、静かに現れた鯉が数匹、自由に泳いでいる。
近作では生命の根源である水をモチーフとしています。
我々の身体の大半を占めるとともに、大地に恵みをもたらす水は、古来から祈りの対象であり、仏画や絵巻、木彫など多くの水にまつわる表現が生まれました。

その水面に反射している光、水面下でゆらめく光、それらの中で揺れ動く極小の光の粒など多様な光を混在させています。 
また、絵画全体を眺めると見えてくるのは、絵の内側から発光しているような光。

水と光と鯉、それら全てが鮮やかな色彩と混ざり合い、溶け合い、一体化する。 
光と色彩に満ちた、はかない夢のような一瞬を捉えた絵の中を、光の鯉は揺らいでいる。 

鯉のシリーズでは、鯉よりもその影の方に絵の具の厚みを出して、影に物質的な存在感を持たせています。
影という、本来実体の無いものに存在を感じさせる。
そのように実在と不在を転換させることで、存在とは何か?を問いかけています。 

 近作では円のグラデーションや、水面に浮かぶ水紋など円形のモチーフを描いています。 
円は原子レベルから地球の形に至るまで、自然を構成する要素として欠かせない普遍的なかたちです。
美術史を振り返れば、日本では東洋的な思想の象徴として円は描かれてきました。
例えば江戸中期の白隠禅僧(1686-1769)の円相図や、具体美術協会の吉原治良(1905-1972)による円シリーズがあり、私はそれらの作品の流れに沿って考案、制作しています。 

水面に浮かぶ円形の水紋は、まるで水で出来た花のようにも見えてきます。
水紋はそれ自体には実体は無く、周りの色彩の変化によって生まれる現象であり、周りの環境によって成り立つのです。 
それはクロード・モネ(1840-1926)の睡蓮のように水面に浮かび、静かに揺らいでいます。 
点の相似形として、画面に共存し漂っている大小の円のかたち。
エアブラシによる極小の点描と、水紋の円は相似形の構造なのです。 

 

 画面に見える変化に富んだ色彩は、絵の具を混ぜてできる色ではなく、エアブラシによる点描により、視覚的に混ざって見える色彩です。 
絵画が含んでいる色彩の要素をひもといて三原色に還元し、再構築しています。 
三原色を塗り重ねるというシンプルでミニマムな行為により、その色の組み合わせや重なり具合によって生まれる多様性が、私の作品の特徴です。 

19世紀新印象主義の画家ジョルジュ・スーラの作品に見られる点描を、エアブラシによるドットの集合体によって引用し、点描の最小単位として表現する。
その方法論は、筆で絵の具を乗せることでは表現できない、オリジナルなアプローチであると考えています。
私はこの作品スタイルをより追求し、深めて行きたいです。


 周囲の光の変化によって存在する鯉は、滲みゆく無限の色彩の流れに身をゆだね、溶け合いながら泳いでいます。

 

塚本智也

2016年1月

 

 

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”Journey of colors”


色彩をどう扱うか、どの色をどのようにのせていくか、それは絵画の歴史において重要な要素の一つです。
絵画を観ているということはすなわち、色彩を観ているとも言えます。

私は、色の三原色をエアブラシでカンヴァスに塗り重ねるという、最小限の行為によって絵画を制作しています。使用している色彩は、色彩学の基本である三原色。赤、青、そして黄。それだけです。
色と色が出会っていく。重なりあい、そこから新たな色彩が生まれていく。
画面に現れる多様な色彩は、あらゆる色彩を等価に考え、重ねていった結果です。

絵の画面はたくさんの色彩に溢れて見えますが、使用しているのは三原色のみということ。
それは、複雑に見えて実は単純であり、極めてシンプルな方法論です。
私はそこに、「わびさび」に通じる削ぎ落とされた美や、日本的な簡素で簡潔な感覚を重ねています。
そして、その削ぎ落としたミニマルなプロセスから生まれる多様性。
禅や「わびさび」の中に宇宙があるように感じるのと同じく、極限のシンプルの中に宇宙を内包している。
そのような、単純明快な中に深さを含んでいる作品を目指しています。

また、私の作品には水面や波の抽象的な曲線の形がみられます。
波の抽象化は江戸時代の画家、尾形光琳( 1658〜1716年)の紅白梅図屏風に見られるように、光琳芸術の一つの特色です。
この琳派からの流れを組む装飾性を、制作に取り入れています。

 

三原色は何度も重なることで色の彩度は次第に失われていき、最終的には黒色になります。
私の絵の中にある、水墨画のような黒に近い色は、三原色の塗り重ねよって生まれる黒です。
近作ではより黒の面積が増え、色の深みが増しました。
黒があることで白が際立ち、影が濃いことで光は輝くのです。
絵では、影の方が存在感があるという、実在と不在の逆転が起こっています。
それにより「存在」の不思議を表現しています。
色は色と出会い、滲みの技法であるステイニング のように広がりながら、やがて黒へと行き着く。
私は絵の中で、黒への旅路のガイド役を演じているのです。

光と影やネガとポジ、多様な色彩が混在し、境界線が溶けていく画面。
それはグローバル化、クロスオーバーして全てが混ざり合っている現代を反映しています。
多様な価値が混ざり合うことで新たな価値が生まれるのです。

現れては消えゆく波や木漏れ日のように、絵の中のうつろいゆく表情はどこかはかなさを伴っています。
抽象的な形と虹色の空間の中を自由に泳ぐ鯉は、どこへ向かうのだろう?

色の旅は続いて行きます。

 

塚本智也

2015年10月

 

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「無と無限の間」

 

[1] どのように描くか

私は、色の三原色をエアブラシでカンヴァスに塗り重ねるという、最小限の行為によって絵画を制作しています。
使用している色彩は、色彩学の基本である三原色。赤、青、そして黄。それだけです。

三原色は西洋美術において、重要なテーマの一つです。
バーネット・ニューマンによる作品シリーズ「Who's Afraid of Red, Yellow, and Blue?」は象徴的であり、
例えばモンドリアンやロイ・リキテンシュタインといった美術史上の巨匠たちも、三原色を作品の要素の1つとしました。
私の作品はその美術史の文脈上に位置していると考えます。
また、19世紀新印象主義の画家ジョルジュ・スーラの作品に見られる点描を、エアブラシによるドットの集合体によって引用し、点描の最小単位として表現しています。

青の上に黄色を重ねると緑色に見える。赤の上に青を重ねると紫に見えるというふうに、エアブラシによる微粒子の重なりの組み合わせによって無限の色調が生み出されます。
そしてその三原色が重なり合うことによって彩度が落ち、影のように無彩色になる。やがて暗闇のような「無」に還っていく。

三原色の重なり具合によって生まれる無限の色彩は、実際には存在していない(=描いていない)けれど、網膜上では視覚的に存在しているのです。
そして見えている様々な色彩は、単純な行為の痕跡であり、分解すれば単に三つ。そこにそれ以上の意味はありません。
私にとって制作とは、作者自身の内面から湧き出てくるものを描くというのではなく、カンヴァスの表面に行われた行為の結果を、作者が一つ一つ選びとるという作業なのです。
つまり“色にとらわれない”制作方法であり、見えてくる色彩は、そこに有るべくしてある色であるという必然性を帯びています。
絵画が成り立つ構造を単純化した結果、私は色彩からの自由を得たと考えています。

最小の行為の積み重ねが無限の効果を生む。
言い換えれば、最小限(ミニマル)な行為が積み重なることで、表現の多様性が生まれている。とも言えます。
これは美術史における60年代のミニマリズム、コンセプチャアリズムの流れの西洋美術から90年代以降のアジアにおける表現の多様性へと、美術史の多層化を象徴しています。

 

[2] 何を描くか

描く対象について私がこだわってきたこと、それは「存在とは何か」を表現することです。
これは、今まで10数年継続してきた核となるテーマです。
太陽の光に照らされて生まれた影は、確かにそこに在るけれどたちまち消えてしまう。
そこに存在の神秘を感じ、それ自体は実在しない影という、はかない現象を写し取るところから制作を始めました。
その影を通して私は「無」もしくは「不在」を描いています。
影の形は次第に、北斎や伊藤若冲の絵画に見られる平面的で生理的な曲線や点といった有機的なフォルムに変化し、それらの集合体によって、実際には描いていないのに人物や「もの」の姿が見えてくる、という描き方に展開しました。
オプ・アートを想起させる視覚的な効果の中に、人やもの、光や影、水や木々などの個々の輪郭線がにじみ、混ざり合い、溶け合うように、自然との調和を描いています。
直接的には描かないが、見えてくるように描くことで、そこに日本的な思想である「もののあわれ」や無常観を内在させています。

作品にはところどころに、描いていない空白の部分があります。
ある人はその余白にその人自身をみるかもしれない、また誰かは恋人や家族など、大切な人を想像するかもしれません。
見えない部分を、見る人それぞれの記憶で補ってほしいと思います。
見えないものや空白の先にあるものを感じてほしいのです。
それと同時に余白は、先の見えない、捉えられない「現代」という時代の存在感の希薄さの隠喩でもあります。
誰にも先の分からない現代という時代において、はかなく消えゆく時の向こう側に、人々は何を見るのでしょうか。

ところで、絵画の起源をたどっていくと、恋する乙女が、恋人の影をトレースするところから始まったという話があります。
去っていく恋人の面影を永久に手もとに残そうとして、部屋に蝋燭を灯して壁にうつった影を写しとる。
ロマンチックな話ですが、これは絵画の本質といえます。※1
私はそれと同じく、例えば大切な人やものがいなくなっても心の中でずっと生き続けるように、永遠に在り続けてほしい愛しいものを、絵の具の痕跡によって絵画に留めています。

 

[3]最後に

無、最小限、無限。
これらの範囲の中に私の作品は存在しています。

無と無限の間には、どのような空間が拡がっているのだろう?
それは世界そのものではないか?

それらの問いを、「描いていない色彩と、描いていない形が在る」という、 2つの「描かない」フォームによって可視化することを試みています。
そうすることで、美術史における「描く」ことの可能性を広げたいです。

絵画の発生や根源に思いをめぐらせ、三原色の重なりが紡ぎ出すストーリーに耳を傾けながら、今日も一人、カンヴァスの前に立っています。

 

塚本智也

2015年1月

 

■ 所出
※1 荒俣宏「図像学入門」集英社


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2 つの「描かない」について


 私の作品は抽象画に見えますが、その中に人物や動物などのモチーフのシルエットが浮かび上がるように描いています。

色の3原色を薄く塗り重ねて描いており、それらがキャンバス上で幾層ものレイヤーになることで、
さまざまな色彩と奥行きが生まれます。

印象派の画家、スーラの作品に見られる点描をエアブラシによるドットの集合体によって引用し、
さらに色の3原色を用いることで、絵画の成り立ちを表現しています。

色の交わりによって見えてくる色彩は、実際には存在していない(=描いていない)けれど、
網膜上では視覚的に存在しているのです。
同様に、作品のフォルムも日本の絵画に見られる生理的な曲線や点の集合体を用い、
実際には描いていないのに人物の姿が見えてくる、という描き方をしています。

 私は高松次郎の作品にインスパイアされていて、高松が試みていた「不在の存在論」を継承しています。

その手段として「描いていない色彩と、描いていない形が在る」という、
2 つの「描かない」という表現を組み合わせています。

そうすることで、美術史における“描く”ことの可能性を提示していきたいです。


2012年6月

 

 

 

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